研究内容
私たち生物活性分子研究室では、いくつかの生物現象に着目し、その陰で働く機能分子に関する次のような問いの解決に向けて、化学と生物を融合した学際的で多様な研究を行っています。
(1)生物現象を司る機能分子は何か?(単離と化学構造の特定)
(2)どのように作られるのか?(生合成)
(3)どんな分子に作用し、その後どんな分子が関与し生命現象に至るのか?(作用機構)
現在、注目している機能分子と担当者は以下のとおりです。
○植物疫病菌の繁殖に関与する分子、神経細胞分化誘導分子、抗生物質(担当:小鹿)
○糖鎖認識分子、チオール捕捉分子(担当:中川)
○植物-土壌微生物間相互作用分子、植物ホルモン(担当:近藤)
これら機能分子に対して、次のような手法で研究を進めていくことになります。
(1)化学構造の解明
(2)構造の多様化(合成、化学・生物変換)と構造活性相関
(3)生合成機構(遺伝子、酵素)の解析
(4)作用機構(受容体、シグナル伝達分子)の解析
(5)有効性の検討
これらの研究は医薬・農薬など応用可能な分子の開発を見据えたものでもあります。もちろん簡単ではありませんが、弛まぬ努力によって予期せぬ幸運に巡り合えるかもしれません。大学での研究は、自分の興味の趣くまま進められる点に醍醐味とやりがいがありますが、研究を通して社会貢献することも常に意識して進めてゆくことが重要と考えます。また、若者に「ものつくり」「ものさがし」の面白さや大切さを学ばせ、社会で活躍できる人材を育成することも我々の重要な使命と考えています。なお、研究成果の主な発表の場として関連が深い学会は日本農芸化学会です。
以下、各研究担当者の研究内容を紹介しましょう。
○小鹿 一
《植物疫病菌の繁殖に関与する分子》
植物疫病菌は卵菌の一属Phytophthoraの総称で、しばしば農作物に甚大な
被害を与える病原糸状菌です。中でもジャガイモ疫病菌P. infestansは、1840
年代にアイルランドジャガイモ飢饉をもたらした元凶であり、近年もジャガイ
モ疫病による損害額は世界で数十億ドルと言われています。疫病菌は有性生殖
と無性生殖により繁殖し、前者により耐久性と遺伝的多様性をもった有性胞子
「卵胞子」が、後者により短期間で蔓延可能な無性胞子「遊走子嚢」が作られ
ます。これら疫病菌の繁殖戦略を分子レベルで理解することは、疫病菌コント
ロールの新たな方法論を展開するために重要と言えます。私たちはこれまでに、
(1)有性生殖を誘導する交配ホルモンα1、α2の化学的同定
(2)トマトの成分が疫病菌の無性生殖を阻害すること
を明らかにしました。現在、交配ホルモンの生合成酵素、受容体の同定を目指し
ています。また、無性生殖阻害物質の農業病害に対する効果や作用機構の解析を
進めています。
《神経細胞の分化を誘導する分子》
高齢化に伴い神経ネットワークが脱落することで神経変性疾患となるとされています。未分化の神経細胞が分
化して軸索を伸ばし、この神経細胞のネットワークを回復できれば神経疾患の治療に繋がるかもしれません。脳の中で作られる神経成長因子NGF(タンパク質)にはこのような効果が期待されます。我々はNGFのような働きのある低分子を培養可能な神経モデル細胞を指標に自然界から探索しています。これまでにNGFの作用を増強する物質として、オニヒトデからステロイド配糖体、海綿の一種からアセチレン化合物、植物からアルカロイドなどを発見しています。このうちステロイド配糖体acanthasteroside B3は老化マウスの記憶・認知力を向上させることが判りました。
《抗生物質》
抗生物質は人類に多大な貢献をしてきましたが、耐性菌の出現や新規物質の枯渇により近年、新薬の開発が極めて困難になっています。この課題を打開するには新たな微生物材料(難培養微生物など)や、既存の微生物のゲノムに書き込まれた生合成遺伝子群のうち発現していないもの(休眠遺伝子)の利用が注目されています。我々は難培養性で知られ世界的に研究者が少ない「粘液細菌」を材料に新規抗生物質の探索を行ってきました。特に海洋性粘液細菌由来のポリエン化合物haliangicinは菌の成長が極めて遅いため、生合成遺伝子のクローニングと異種発現を試みました。その結果、生産量と培養の容易さを考慮すると約30倍の生産効率の達成に成功しました。
○中川 優
《糖に結合する天然物に関する研究》
近年、糖鎖は多彩な生物学的機能を持つことが明らかになり、
糖鎖が関わる生命現象を解析するツール分子あるいは糖鎖を
標的とした創薬のリードとして、特定の糖に結合する低分子
化合物の需要が急速に高まっています。しかしながら、生理
的条件下で糖鎖に結合する低分子化合物を人工的に開発する
ことは極めて困難です。
一方で、天然には生物学的に重要な糖鎖に結合する低分子
化合物が存在します。
Pramidimicin A (PRM-A) は放線菌由来の抗生物質であり、
マンノースを含む糖鎖に特異的に結合します。私たちは、
PRM-Aによるマンノース認識メカニズムの解明とPRM-Aに
基づく研究用ツール分子および創薬リードの開発を目指して
研究を行なっています。また、PRM-Aに次ぐ第二の糖結合性
天然物の探索とその応用研究も行なっています。
《チオールを捕捉する天然物に関する研究》
私たちは、放線菌から3,4-dihydroquinolizinium環を有するユニークな天然物Quinocidin (QCD) を単離するとともに,QCDが中性水溶液中,室温でチオールとマイケル付加体を形成することを見出しました。3,4-Dihydroquinolizinium環に対するチオールの付加反応はこれまで知られていなかったことから,QCDは新たなチオール捕捉剤としてケミカルツール分子の開発に応用できる可能性を秘めています。私たちは、チオール捕捉能を最適化したQCDアナログの開発とケミカルバイオロジー研究への応用を目指しています。
〇近藤 竜彦
<植物の根とその周辺領域(根圏)に生息する微生物の間で機能する生理活性物質>
植物の根の周辺には、他の土壌に比べて桁違いの密度で微生物が生息し、「根圏」と呼ばれる特殊なコミュニティーを形成していることがわかってきています。植物は、光合成で獲得した有機化合物の数割を根から土壌中に放出し、このコミュニティーを「養って」いると考えられています。
私たちは、この複雑な生態系である「根圏」に興味を持ち、次の2つのテーマで研究を行っています。一つは、植物寄生性線虫の感染機構に関する研究です。卵から孵化した植物寄生性線虫の幼虫は、土壌中で宿主植物の根を探し出し、そこに侵入して感染します。この感染の過程には、植物根から放出される「誘引物質(Attractant)」が重要な役割を果たしていると考えられており、その化学的本体を明らかにすることを目的としています。もう一つは、植物の根から放出され、土壌中のある一群の(植物の生育に有用な)細菌の増殖を促す生理活性物質が存在するという現象を発見し、その生理活性物質がいったい何かということを明らかにしようとしています。
<植物の気孔形成を調節するペプチドホルモンに関する研究>
植物の表皮に形成される気孔は、植物が光合成や呼吸、蒸散を行う際の気体の通り道として機能し、その開閉を通じてそれぞれの生命活動の効率を調整しています。その意味では、気孔は動物にとっての「口」に当たるような重要な器官です。我々のグループでは、モデル植物であるシロイヌナズナの表皮細胞を気孔へと分化させる、アミノ酸45残基からなるペプチドホルモンを単離同定し、「stomagen」と命名しました。stomagenは低濃度で未分化の表皮細胞を気孔へと分化誘導し、気孔密度を増加させることができます。
このstomagenの機能を使えば、外から加えることで植物の気孔密度を上昇させ、蒸散や光合成効率を上昇させる技術を確立することが将来的に可能になるかも知れません。しかし、stomagen自体を薬剤として使うことは、コスト的にも物性的(分解しやすい)にも現実的ではありません。そこで、このstomagenの構造をもとに、stomagen と同様の生理活性を示す低分子化合物を開発するために、stomagenのどの部分が活性発現に重要なのかという点について研究を行っています。